実は、サルサとの出会いだったテニススクール vol 1
20年前、武蔵小杉のイトウヨーカドウの屋上のテニススクールから、私のサルサ人生は、スタートしていた。その時は、まったく気づいてもいなかった。10年ぶりくらいに足を運びました。みんな、どうしてサルサを始めることになったか紹介してみませんか?面白いとおもいます。続編は、後日^_^
サルサとの出会いvol.2
テニススクール🎾は、毎週水曜だったか、木曜日だったか。
毎日21時までの自動車ディーラーの仕事に飽き飽きしていた私は、
ここでも異端児ぶりを発揮。毎週早上がりを決め込みそそくさと帰り。
イトーヨーカドーの屋上へ。
通って一年、楽しい仲間もでき、飲みにいったり、
スキーにいったり大学のテニスサークルのノリで楽しんでました。
ところがある日、テニススクールの1番の仲良しの男性が突然
そのテニススクールに来なくなってしまったのです。
そろそろ、気配がしますね。
続きはまた、、、。
サルサとの出会いvol 3
武蔵小杉のテニススクールの1番の友達が来なくなって数ヶ月、私は彼がどうしたのかと思い、ある日、電話をかけました。すると彼はこう答えました。いやー、違う趣味にはまっちゃってさー。なんだよ。いやー。歯切れがかなり悪い。サルサだよ。ラテンのダンス。えー、お前、踊ってんの?まじ?すると彼は、だから、お前に言いたくなかったんだよ。おー、良く私の性格をご存知で。そっか。じゃー、しばらく、テニススクールには来ないね。みんなによろしく伝えるよ。と少し雑談してから電話をきりました。それから、半年くらいたったころ、急激に私をサルサの世界に引き込むあの日が、やって来ます。それは、1人では、あまりいたくない、年に一度のあの日。クリスマスイブ。踊るなんてとんでもないと思っていた私の衝撃的な一日は、次回^_^
サルサとの出会いvol 4
ここまでのあらまし
30代前半の私はテニススクールを楽しんでいた。1番の友達が突然テニススクールに来なくなり、聞くとサルサにはまってしまったとのこと。それから、半年が経ち。そんなことなどすっかり忘れていた。
クリスマスイブに彼女もいなく、することもなく、あっ、あいつと久しぶりに飲むかなと電話をかけた。今日、超絶暇なんだよ。一緒にたまには、飲もうぜ。すると彼は、おお、ごめん。今日、予定があるんだよ。へー、彼女でもできたか?そんなんじゃないけど、女性はいるんだよな、、、。女性?はいる?あー、サルサだな。それは、無理だわ。他に、やること考えるわ。わかった、わかったと私は、電話を切った。でも、そうは言っても、街中は、カップルだらけ。クリスマスイブに、パチンコで勝ったためしがないし、、。家に帰っても、、、。ほんと、5分だったと思う。俺は、彼に電話をかけ直していた。おい、それどこでやってんだよ。聞けば、恵比寿でサルサのクリスマスパーティーがあると言う。しょうがないから、行くよ。それ。
続く。
サルサとの出会いvol 5
サルサパーティは、恵比寿の309?(数字3桁のビル)であったと記憶している。会場は、広くたくさんの男女がいた。一曲、一曲、パートナーを、変えながら、打ち合わせもせずに、曲芸みたいなペアダンスを繰り返す。うーん。踊っている人は楽しそうだが、一生かかっても俺には無理だな。お友達を紹介してもらってやってはみたが、、、。わけがわからなすぎて記憶がここまでしかない。相変わらず暇だった私は、サルサが盛り上がっていると紹介された元町ゼロの大晦日のサルサカウントダウンで年を越す約束をしたものの、男性は、女性の3倍難しいだの、男性は、1割しか残らないなど聞かされそりゃそうだわと納得の域。付き合いでたまに行くのはいいけど、まっ、ないな。そんな感じでした。ただ、楽しそうに踊っているのは、少しうらやましかったかもしれません。つづく
サルサとの出会いvol6
本当のサルサデビューは、サルサ2回目になる元町ゼロのカウントダウンサルサになるであろう。この日のレッスンは、まったく覚えていない。多分、あったであろう。参加したのかもわからない。ただ、フリータイムは、なんとかしようと必死な一夜だったことは覚えている。そんな私に1人だけ、ずーと一緒にいてくれて、踊ってくれて、サルサのいろいろなことをアドバイスしてくれる女性がいた。冷たく断られたり、目も合わせてもらえなかったりする中で彼女は、間違えなく私にとって女神だった。今、覚えている1番印象的なことは、彼女にこう質問した時のことだ。踊ってもらおうと誘うんだけど、どうしても断られちゃうんだよ。すると彼女は、お願いして手を出したら、女性が断るまで絶対に手を下げちゃダメだよ。このアドバイスは、効いた。なんと、勝率が2倍以上になったのだ。スゲー、断られない。サルサ場では、それ以来、あまり会うことのない女性だったが、サルサ2回目がカウントダウンの長丁場。明け方、締めの中華街で初めて会う人だらけのサル友と美味しいご飯を食べるまで至ったのも女神さまのおかげだったに違いない。つづく
サルサとの出会いvol 7
サルサの女神と出会ったからと言って順風満帆に事が運ばないことは、世の男性サルサダンサーなら、みなご存知であろう。
そう、サルサは、10人に1人しか生き残れない過酷なものなのだ。大晦日のカウントダウンのあと、元町ゼロの水金のレッスンに出るも、難しく馴染めず楽しいとは程遠いサルサライフが始まっていた。そんな中、私に人生最大の天変地異がおきる。新卒から11年務めた自動車の営業を急遽やめることになるのだ。会社に冤罪をかけられその会社にあいそをつかせ退社。この事を、職安で話すと数日後、事実を確認できたのでと3ヶ月後の失業保険の支払いが、翌日から支払われることに。しかも、20万近く、10ヶ月間。当時の失業保険は、かなり緩かった、、、。その会社に、かなりの拷問にあっていたので、すぐに働く気もせず10ヶ月のプータロー人生が突然始まってしまった。1〜2ヶ月たったであろうかテニススクールの彼が、そんなにふさぎこんでないで、サルサに来いよ。気晴らしにと声をかけてくれた。一日中家に居ると、さすがに、夜は、家にいたくなくなる。サルサは、気晴らしにちょうど良く、たっぷりある時間の中でゆっくりサルサを覚えていける環境が整っていた。それからは、元町ゼロはもちろん、サルサのキャンプに参加したり、イベントに参加したりと、徐々にサルサにのめり込み始め、さらには、サルサバーで3年バイトするまでのハマりっぷり。紆余曲折がありながら、現在の昼の仕事を持ちながら、DJ兼イベンターをするサルサライフを楽しむ形に変化していきました。完
ご視聴いただきありがとうございました。